聖の夜の前奏曲
著者:ナガイタクヤ
「はあ……」
私は一人、嘆息する。吐息は白に染まり、消えていく。
わいわいとした喧騒、夜の街に灯る多くの光。周りには見るに耐えない遠慮を知らないラブラブなカップルや仲の良さそうな親子、仕事終わりらしいスーツ姿の中年の会社員。みんながみんな笑顔で街を歩く。今日はクリスマスイブという世界的にも伝統的な日だからだ。そんな中を私は、独り歩く。
別に友達がいないとかでもないし、両親も二人共健在だ。本当は私だって友達や家族とこの道を歩くつもりだったのだ。だが、今の私はとてもそんな気にはなれなかった。
「はあ……」
私は二度目の嘆息をして夜空を見上げる。そして誰にも聞こえないような声で呟く。
「……知らない男の子と一つ屋根の下で、なんて嫌だよ……」
少し前までは自宅で家族とツリーの飾り付けをしていたのに……、私は何をしているんだろう……。まあ、全ては私の両親に対する反発が原因だった。でも、それは仕方ないことだと思う。私に物分りがないのも悪いが、両親も両親だ。娘の気持ちを考えずに勝手に何でも決めて……。
それは本当に少し前のことだ。ツリーの飾り付けを終えた私に両親が告げてきた。「従姉弟の子をしばらくうちで預かる」と。それはとても唐突だった。私は「この人達は何を言っているんだろう」と思ったが、話す内にどうやら本気なのだと理解できてきた。どうやら私が通っている学園の編入試験をしたらしく、この家をつかうことにしたのだという。しかも今晩。
でも、……私は嫌だった。
元々、男の子となんてあまり話したこともなかったので恐かったのだ。私は怒りのあまり家を飛び出してきてしまった。そして私、藤野静は現在に至っている。
「……?」
私は不意に一人の少年に目を奪われてしまった。駅前の電柱に一人佇み夜空を見上げる、その少年に。イケメンとかそういうのに目を奪われたのではない。まあ、容姿からすると結構端麗で十分「イケメン」の部類なのだろうが、私が気になったのはそれではない。私のはもっと、言葉で表せないような何かだ。
「…………」
しばらくその横顔を見つめていると、少年は視線に気付いたのかこちらに視線を向けてきた。私は見つめていたことが急に恥ずかしくなり、慌てて視線を外す。相手も興味がなかったのか視線を私から外し、夜空を見上げていた。よかった……ほっ。
「うわーーーーーんっ!!」
「っ!」
私はあの少年の視線から外されたことに安堵してリラックスした状態になっていたので、その大きな泣き声に想像以上に驚いてしまった。し、心臓に悪い……。
声のした方に視線を向けてみる。すると、そこには親とはぐれてしまったらしい小さい女の子がいた。通りの真ん中で「ママー、ママー!!」と泣きじゃくっていた。この人混みだ。あんな小さい子だったらはぐれてしまっても仕方のない気がした。通りを歩く人達は女の子を避けるように歩いていく。それが私にはカチンときた。女の子が泣いているのに無視するなんて人として間違っていると思う。
私は女の子に声をかけようと歩み寄とうとしたその時、横から深い嘆息が聞こえてきた。
「はあ……」
あの少年だった。白い息を吐きながら女の子に歩み寄っていく。そして女の子の身長に合わせるように屈んだ。女の子の頭に手を置きながら話しかけていた。
「どうした? 母親とはぐれたのか?」
「えぐ、う、うう……」
女の子が泣きながら少年の顔を見上げる。瞬間、
「うえーーーーーーーーんっ!!」
「うおぅっ」
……さっきとは違う意味で泣き出した。確かに少年の容姿はお世辞にも「優しそう」ではない。どっちかというと「不良」をイメージさせる顔だった。少年は困ったように頭を掻いていた。周囲がさらにザワザワとし出した。傍から見たら女の子がいじめられているように見えているのだろう。
「ああっ、もう! だから、話しかけるのは嫌だったんだ!」
少年の慌てっぷりに私は笑っていた。声には出さないものの、口が吊り上がってるのが自分でも分かる。さすがに失礼なので堪えようとはするのだが、耐えられなくなって方を震わしてしまう。
そうしていると少年が私に視線を向けてきた。
「……あ」
どうやら気付かれたようだ。仏頂面で睨むように私を見ている。やっばいなぁ……顔からしたら不良さんみたいだし。もしかしたら、「よくも笑いやがって!!」とか言って、あんなことやこんなことをさせられるかもっ……。
(私の貞操、何気にピンチっ!?)
少年が目で「こっちに来い」と言っていた。こ、恐い……。すごい迫力でこっちを見てる。逃げたら殺される……。
私は命の危険を感じて、そろそろと少年と女の子に歩み寄る。
「な、何でしょう……」
私は震える声で訊く。
だが、少年は私の様子を見て「はあ……」と嘆息する。そして逆に私に訊いてきた。
「俺って、そんなに恐いか……?」
「……え?」
結構拍子抜けしてしまった。もしかしたら私、とんでもない勘違いをしてたんじゃあないだろうか。この人の尋ね方、何か不良っぽくない。
「え、ええっと……」
「……そうか。そこまでヒドイか……」
私がどもっていると、少年の方で勝手に「言い難いんだ」と解釈したらしく一人で落ち込んでいた。私は慌ててフォローする。
「そんなことないですよ!」
「ホントか……?」
少年が怪訝そうに訊き返してきた。
「は、はい!……割と」
「……そうか。《割と》、か……」
……はっ。何も考えずに答えたら、つい本音がっ。
「……なんか、もういいや。このままだと埒が明かないからさ、手伝ってくれない? この子の親、探すの」
少年が諦めたように言う。どうやら不良顔はコンプレックスのようだ。何だ……、結構いい人じゃない。人は見かけに寄らないなぁ。
「わ、私もそうする気だったから別に構わないけど……」
私は承諾して、女の子に歩み寄る。そして少年がしたのと同じように、頭に手を置いて安心させるように出来るだけ優しく問いかける。
「お母さんとはぐれちゃったんだよね?」
「えぐ、ううう……うんっ」
女の子が泣きながら頷く。
「……この差は一体?」
少年が夜空を遠い目で見上げる。……まあ、フォローは後回しにしよう。ということで少年は無視しておく。
「じゃあ、一緒に探そう?」
「ぐすっ……お姉ちゃんが?」
女の子が嬉しそうな顔をした。私はもっと安心させるように胸板を叩きながら言い切る。
「うん。お姉ちゃんと、この恐そうなお兄ちゃんに任せなさい!」
「ほっとけ!」
女の子がびくっと恐がって私の後ろに隠れる。少年は「うっ」と呻いて、悔しそうにそっぽを向く。私はそれを見て笑ってしまった。
「それじゃあ、早速だけど探そっか」
私が訊くと、さっきまで泣きじゃくっていた女の子はもうそこにはいなかった。女の子は息を吸って、元気よく返事をする。
「うん!」
少年がそれを見て優しく微笑んでいた。私もそれにつられて微笑み、女の子の手を取って歩き出した。
女の子の母親を見つけるのは思ったより早く済んでしまった。女の子の母親は私達にすごく感謝をしていてお礼までもらってしまった。遠慮はしたのだが、あそこまで言われてはもらわないのも失礼だろう。まあ、私の横を歩く少年は一つの遠慮もなしにもらっていたが。
「そういえば君、名前は?」
私は唐突に訊いてみる。
「俺か? 俺は『杉林豹』だ。杉の林に、動物の豹と書く。お前は?」
少年――杉林君が訊き返してきた。私は普通に「藤野静」と答えようと思ったが、何となくそれはやめて、
「秘密」
「はあ?」
「不思議な女の子って魅力的だと思わない?」
私はからかうように訊いてみると、杉林君は嘆息してきた。何やら「俺には名乗らせたくせに……」などとブツブツと何かを呟いていた。反論するのも疲れたらしい。
「で、アンタはこんな日に一人で何をしてたんだ?」
「む。それは君にも言えることじゃないのかな?」
「俺は……まあ、いいや。別に、わざわざアンタに教えることじゃねえし」
杉林君が憎まれ口を叩く。私は少し気になったので少しだけ詮索するために、質問をぶつけてみる。
「待ち合わせ?」
「ん〜……。まあ、そんな所だ」
「待ってなくてよかったの?」
訊くと、少年が複雑な顔で苦笑する。
「2時間経っても来ないんじゃあ仕方がないと思わんか?」
「あー……それは、大変だったね。寒くなかった?」
っていうか2時間ってこの寒さの中を? すごいなあ。男の子って身体の造りが違うっていうけど、こういう所もそうなのかな。それとも杉林君が特殊なのか。
「いや。俺の地元はもっと寒いから、どうってことはないな。まず本州じゃないから」
どうやら杉林君が特殊だったようだ。
それから少し二人で話しながら街を歩いた。何か不思議な感じだ。ついさっきまで従姉弟の男の子となんか一緒に暮らせないなんて思ってたけど、杉林君としゃべっているとそんな考えがバカらしくなってくる。本当に不思議……。
不意に杉林君が立ち止まる。どうやら駅前に戻ってきたようだ。
「じゃあ、もう少し待ってみるから」
「あ、うん……」
あれ? どうしたんだろう、私。ほんの少し前にあったばかりの存在である杉林君と別れるのがとても寂しがってる私がいる。なんでだろう。
でも、家では両親が心配していることを考えると、早く帰らないといけない気がした。もう時間も時間だし。そういえば私、ケンカして出てきたんだっけ。どうしよう……まず謝らないと。まあ、それを考えるのは後でも出来る。今は目の前にいる少年に別れを告げることが先だ。
「杉林君!」
「あ?」
私は息を吸って、出来る限りの笑顔でその一言を口にする。
「メリークリスマス! またね!」
杉林君は一瞬キョトンとして、ふっと微笑んで手を振る。
「メリークリスマス。また会わないことを切に願うよ」
……杉林君は最後まで憎まれ口だった。本当に不思議な男の子だったな。今晩、ウチに来るっていう従姉弟とはこんな風に仲良くなれるのかな……。そうだといいな。今ならそう思える。これも杉林君のおかげかな。
それにしても寒いな。早く帰ろう。早く帰って温まろう。……あ、その前にお説教かな。まあ、いいや。私は歩みを早くして、家路を急いだ。
そして家に帰り、出迎えてくれたのは両親ではなかった。その少年は紛れもない従姉弟の少年だった。そして同時に、紛れもない、あの憎まれ口ばかり叩く少年でもあったのだ。
この時の私は気付いていなかった。後に、どんどんこの少年に惹かれていき、夢中になっていくことを。お互いの呼び方はかつてとは違う。私は彼を「ヒョウ君」と呼び、彼は私を「静姉」と呼ぶ。それがとても心地好かった。
私は今日もその名を呼ぶ。弟のようで何か違う、そんな不思議で不良顔の少年の名を。
――物語は、そして始まりの鐘を鳴らした
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